四百年のときをつなぐ
今日、鳥居前に看板をつけました。
当神社ゆかりの井伊家18代当主井伊直岳様と武田家16世当主武田邦信様、武田家家臣末裔(武田家旧温会)の方々が、400年のときを越え、当神社を参拝され、お会いになられますので御案内します。
今度の土曜日、7月2日午後3時からの予定です。
以下、概略です。
徳川家康公の浜松在城中に当浜松秋葉神社に奉納され、第2次世界大戦で失われた家康公への「信玄衆誓詞」(写しは「国立公文書館」所蔵。「天正壬午起請文」ともいう。)が、家康公400年祭の昨年、12月16日の当神社の例大祭において、武田信玄公を継がれる武田家16世御当主武田邦信様の御参列のもと、当神社に再奉納されました。
「信玄衆誓詞」は、戦国大名としての武田家が滅んだ後、家康公に仕えることとなった800名以上の武田家旧臣が、署名・血判し、家康公への忠誠を誓ったものです。この武田家旧臣の多くが、家康公から、家臣である井伊直政公(井伊直虎が養母。直虎の前の井伊家当主・直親の子であり、直虎の次の当主。井伊家を譜代大名筆頭にする。)に配属されます。
「赤備え」とは、武田軍団の精鋭部隊であり、三方ヶ原の戦いで徳川軍を一方的に破るなど戦国最強と言われる信玄公率いる武田軍の代名詞となったもので、その「武田の赤備え」を人材、精神、兵法とも引き継いだのが、直政公が組織した「井伊の赤備え」です。
直政公が率いる「井伊の赤備え」は、羽柴(豊臣)秀吉との小牧・長久手の戦いで先鋒としてデビューし、武功を挙げ、天下に名をとどろかせます。(江戸中期に書かれた井伊家の由緒書「井伊家伝記」には、家康公から直政公がこの戦いの先鋒の大将に命じられたとき、「井伊の赤備え」(甲州衆)70名が、当神社に血判状を奉納し、「井伊の赤備え」の出発点となった記述があります。)
その後、家康公から一番の重臣としての信頼を得た直政公と「井伊の赤備え」は、様々な功績を残し、家康公の天下取りを実現させていくのです。
そして、400年のときが流れ、平成28年7月2日、武田信玄公、井伊直政公の末裔となる両御当主とその家臣団の末裔の方々が、御先祖のゆかりの地である当浜松秋葉神社にお集まりくださり、参拝されます。